大判例

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東京地方裁判所 昭和45年(レ)180号 判決

控訴人(付帯被控訴人)

渋井ます

代理人

馬場正夫

武田渉

被控訴人(付帯控訴人)

戸田保則

代理人

田中英雄

榎本武光

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

控訴人が被控訴人に対し賃貸している別紙物件目録記載の建物の賃料は、昭和四三年六月二一日以降一ケ月金八五〇〇円であると確定する。

二  当審における新訴請求について、

1  被控訴人は控訴人に対し、昭和四三年六月二一日以降昭和四五年一二月三一日まで一ケ月二五〇〇円の、昭和四六年一月一日以降本判決確定に至るまで一ケ月八五〇〇円の各割合による金員および右各月分に対する当該月の翌月一日以降完済まで年一割の割合による金員の支払をせよ。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

三  本件付帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。

五  この判決は第二項の1に限り仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  控訴人(付帯被控訴人)

主文第一、第三項同旨および「(当審における新訴請求として)被控訴人は控訴人に対し、昭和四三年六月二一日以降本判決確定に至るまで一ケ月八五〇〇円の割合による金員および右各月分に対する当該月の翌月一日以降完済まで年一割の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。」との判決ならびに右新訴請求部分につき仮執行の宣言を求める。

二  被控訴人(付帯控訴人)

「原判決を取消す。控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審を通じて控訴人の負担とする。」との判決を求める。

第二  主張

当事者双方の主張は、次に変更および追加する他は原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人(付帯被控訴人)の主張の変更および追加

1  原判決事実摘示の請求の原因第四項第六行目から第七行目(原判決三枚目裏の第一行目から第二行目)に、昭和四三年六月一日とあるのを、本件訴状送達の日の後である昭和四三年六月二一日と、同項第七行目(原判決三枚目裏の第二行目)に月額金一三〇〇〇円とあるのを、月額金八五〇〇円と、それぞれ変更し、続けて、さらに、同日以降この判決確定の日まで一ケ月金八五〇〇円の割合による賃料および各月分に対する当該月の翌月一日以降完済まで借家法第七条所定の年一割の割合による利息の支払を求める」を追加する。

2  本件家屋の賃料は、毎月二八日限りその月分を持参して支払うとの約であつた。

3  被控訴人の主張の追加第2項の事実は認める。

4  控訴人は、借家法第七条および地代家賃統制令(以下単に統制令という。)第一〇条に基づいて本訴請求をなすものであるが、原判決が統制令第一〇条に基づき裁判で賃料の額を定める場合は、判決により創設的に額が決定されるもので、過去に遡つて賃料を定めることは許されないとしたのは不当である。すなわち、等しく同条による賃料増額であるにかかわらず、裁判上の和解または調停によるとときは、当事者間の合意さえあれば、過去に遡つて賃料増額の効果を生じさせることができ、判決によるときは、その確定後将来に向かつてしか増額の効果を生じさせられないというのは、ともに裁判所が関与する手続であることを考えると不合理であること、さらに借家法による増額請求の場合は、形成権として意思表示のときに遡つて効力を生じることを考慮すれば、判決により賃料額を定める場合も遅くとも訴状送達のときに遡つて増額の効果が生じるというべきである。

二  被控訴人(付帯控訴人)の主張の追加

1  控訴人の主張の追加第2項は認める。

2  被控訴人は、控訴人が本件家屋の賃料の受領を拒むので、昭和四三年六月より前から昭和四五年一二月まで一ケ月金六〇〇〇円宛供託している。

したがつて、仮に控訴人の賃料増額の主張の一部又は全部が認められるとしても、被控訴人の本件賃料債務は右供託の限度において消滅しているものである。

3  統制令第一〇条は、裁判により定められた賃料を認可統制額とする旨規定するが、裁判により賃料を定めるにあたつては、行政庁が設定した統制額を参考とし、これを超える額を定めるには、相当の合理的な事由がなければならない。しかるに原判決は、合理的理由なしに統制額を大幅に超えた賃料を認めているのは不当である。

また、控訴人は、昭和二八年七月から月額四〇〇〇円、昭和四〇年一二月から月額六〇〇〇円の賃料を受領していた制制が、右賃料は統制額を超えている。したがつて、控訴人はこれまで停止統制額を超えた部分につき不当に利得していたのであるから、本件賃料の増額請求についても、右控訴人の不当利得を考慮すべきである。

第三  証拠〈略〉

理由

一、控訴人が昭和二八年七月三一日被控訴人に対し、本件家屋を賃料月額四〇〇〇円で賃貸し、その賃料は、その後順次改訂され、昭和四〇年一二月から月額六〇〇〇円に増額されたこと、本件家屋についての賃貸借関係が、統制令の適用を受けるものであることは当事者間に争いがなく、統制令に基づく停止統制額が昭和四三年六月当時一ケ月一三三九円であることは、控訴人において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

右によると、控訴人は、すでに統制額を超える賃料を受領しながら、その増額を請求していることになるが、統制令第一〇条によれば、同令の適用を受ける賃貸借関係においても、裁判所は、統制額に拘束されずに自ら公正妥当な額を決定し得るものと解される。もちろんこの場合、同令の趣旨を尊重し、統制額がいくらであるかを、十分斟酌しなければならないことはいうまでもない。

次に、同令第一〇条に基づき裁判所が賃料の額を定める場合、いつの時点における公正妥当な額を考えるべきかが問題となるが、借家法第七条による増額請求が形成権とされ意思表示のときに遡つてその効果が生じるとされていることとの均衡、統制令第一〇条は別段裁判によつて地代又は家賃を定める場合の基準時を定めていないこと、また、同条の和解または調停による場合には、当事者の合意さえあれば過去に遡つて賃料を定められるものであること、もし裁判確定の時を基準に新しい家賃が定められることになるものとすると、借家人の不当抗争によりその確定が遅延されて、借家関係の実情に促した解決が得られないことになること、などを併せ考えると、裁判所は賃貸人の借家人に対する賃料増額の意思表示の時点を基準として統制令第一〇条に基づき新しい賃料を決定することができるものと解するのが相当である。このように解したからといつて、裁判所としては前述のように統制額を十分斟酌するのであるから、統制令の趣旨は何ら害さるものではない。

二そこで進んで、本件賃料増額請求の当否について判断するに、本件においては、賃料を月額一万三〇〇〇円に増額する旨の請求を記載した訴状が被控訴人に対し、控訴人主張の本件賃料増額の始期である昭和四三年六月二一日の前々日である同月一九日に送達されたことが記録上明らかであるから、右同日控訴人の増額の意思表示があつたものとして、その時点における賃料の公正妥当な額を考えるべきこととなる。

そこで、右公正妥当な額につき検討するに、当裁判所もまた、その額を月額八五〇〇円をもつて相当と認める。その理由は、原判決の理由中第四項から第八項まで(原判決五枚目裏第八行目から同九枚目表第二行目まで)と同一であるからこれを引用する。〈右引用部分の一部訂正の判示略〉なお、〈証拠〉によれば、被控訴人の賃借している本件家屋と同じ程度の広さの家屋を、前認定額より抵額で賃借している者があることは認められるが、それだけで前認定を覆すに足りるものではない。

右によれば、本件家屋の賃料は、控訴人の意思表示の結果遅くとも昭和四三年六月二一日以降一ケ月八五〇〇円に増額されたというべきであるから、本訴請求中賃料の確定を求める部分は理由があることになる。

三、次に、賃料および利息の支払を求める部分について判断するに、被控訴人が昭和四三年六月以前から昭和四五年一二月までの賃料として、一ケ月六〇〇〇円宛を控訴人の受領拒絶により供託したこと、本件家屋の賃料は毎月二八日限りその月分を支払う約であつたことは当事者間に争いがない。

ところで、元来債務の一部の提供は、債務額と提供額との差がごく僅少であるなど特段の事情がない限り、債務の本旨に従つた提供とはいえず、したがつて、そのような一部提供を債権者により受領拒絶されたことを前提として供託しても、その供託は弁済としての効力を認めるに由ないものと解されている。しかしながら、新設の借家法第七条第二項は、借家関係において家賃の増額請求を受けた者はその正当額が裁判により確定するまでは相当と思料する家賃を支払えば足り、ただ後日その裁判が確定し右支払額に不足があるときは不足額に年一割の支払期間後の利息を付すべき旨を定めた。この規定の趣旨は、従来、家主の家賃増額請求に対し、借家人がその当否を争つて従前どおりの額又はこれに主観的な相当額を加算した額を提供し供託していると、後日これを上廻る客観的相当額が確定した場合、借家人は同時に家賃債務の履行遅滞の責任を負わされることがあつたため、このような弊害のおこる可能性を除去して借家人に不当な結果を帰させないこととしつつ、これに伴なう賃貸人の不利益に対しては相当の金利を得させることにより当事者間の利益の衝平を計つたものである。したがつて、この規定の適用を受けるべき生活関係においては、家賃債務者は客観的な相当額に充たないものであつても主観的に相当なものを賃貸人に提供すれば、それが従来の賃料を下廻らない限り有効に提供の効力を生じ、これを前提として供託すれば、その限度において弁済の効力が生じるものと解するのが相当である。

そうとすると、前記のとおり当事者間に争いのない事実により被控訴人の本件家屋の賃料債務は、昭和四三年六月二一日以降昭和四五年一二月三一日まで一ケ月六〇〇〇円の限度において消滅しており、控訴人の賃料および利息の請求部分は、昭和四三年六月二一日以降昭和四五年一二月三一日までの分については一ケ月八五〇〇円から右六〇〇〇円を控除した不足額である一ケ月二五〇〇円の、昭和四六年一月一日以降本判決確定に至るまでの分については控訴人主張のとおりの各割合による賃料および右各月分に対する前記約定による賃料支払期より後である当該月の翌月一日以降完済まで借家法所定の年一割の利息の支払を求める部分は理由があるが、その余の部分は失当である。

四、よつて、本件控訴は理由があるので、原判決を変更して賃料の確定請求部分を認容し、付帯控訴は理由がないのでこれを棄却し、控訴人の当審における新請求は右のとおり理由がある限度において認容しその余の部分は棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第九六条、第八九条、第九〇条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(倉田卓次 奥平守男 相良朋紀)

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